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伊藤計劃コンプレックスの臨界点——PSYCHO-PASS PROVIDENCE感想

今日のひと言: いい加減やめませんか、「伊藤計劃コンプレックス」

 

はじめに

 

"PSYCHO-PASS" は、2012年から続くSFアニメシリーズ。

いわゆる「ディストピアもの」に分類され、市民の心理状態が巨大演算装置「シビュラシステム」によって網羅され、厳重に管理された社会を描いている。

 

 

本編を観たことがない方でも、対象の心理状態に応じて変形する特殊拳銃「ドミネーター」や、「犯罪係数」などの印象的な単語に聞き覚えがあるのではないだろうか。

 

そんな本シリーズも10周年をむかえ、今回シリーズ最新作となる劇場版"PSYCHO-PASS PROVIDENCE" が公開されたので、レビューする。

 

 

なお、本作の鑑賞にあたって改めて過去作の復習などはしていない(個人的に3期が苦痛すぎるので)。なので細かい設定の取りこぼしがあるかもしれませんがご勘弁ください。

 

ここからは全シリーズ&劇場版、連作短編(SS)を視聴済みの前提でレビューしていきます。本編のネタバレ全開&結構批判的に書いているので、適合しない方はブラウザバック推奨※

 

 

 

あらすじ

 

21181月。公安局統括監視官として会議に出席していた常守朱のもとへ、外国船舶で事件が起きたと一報が入った。同じ会議に出席していた厚生省統計本部長・慎導篤志とともに現場に急行する朱だったが、なぜか捜査権は外務省海外調整局行動課に委ねられていた。船からは、篤志が会議のゲストとして呼んだミリシア・ストロンスカヤ博士が遺体となって発見される。事件の背後には、行動課がずっと追っていた〈ピースブレイカー〉の存在があった。博士が確立した研究通称〈ストロンスカヤ文書〉を狙い、〈ピースブレイカー〉の起こした事件だと知った刑事課一係は、行動課との共同捜査としてチームを編成する。そこには、かつて公安局から逃亡した、狡噛慎也の姿があった――。

(公式サイトより抜粋)

 

 

 

評価点/不満点

 

評価点

・洗練されたビジュアル

・作画/戦闘シーン

・楽曲

 

不満点

・シナリオ全般

 

 

PSYCHO-PASSシリーズを語るにあたってまず断っておきたいのは、劇場版1からSSまでの休眠期間で、制作の体制に大きな変化があったことである。

 

 

その「変化」とは、企画立案者である本広克行総監督(代表作: 踊る大捜査線)、及び設定原案・メインライターの虚淵玄(魔法少女まどか⭐︎マギカなど」)が制作から退いたこと。

(本作のクレジットで、虚淵氏は「ベースド・ストーリー原案」というふんわりした役職に収まっている)

 

 

そのため、シリーズ初期と近年の展開(3期以降)とでは作風に大きな隔たりが生じており、旧来からのファンが近年の方向性に疑問を呈している現状がある。

 

 

 

そうした前提をふまえて、先ずは評価点を。

 

 

・メカデザイン/ビジュアル面

 

本作でも続投となるドミネーター三種の象徴的デザインもさることながら、各種戦闘ドローンにいたるまで細やかに行き届いたデザインコンセプトは見事。終盤に登場する通信用飛行船の(某アンラーを思わせる)神秘的シルエットも印象的。

また、「監視社会」を裏付ける威圧的な街並みの数々と、煌びやかな「出島」、決戦の舞台となる北方列島のビジュアルは圧巻。

 

 

虐殺器官」「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」などを担当した総作画監督恩田尚之氏による戦闘描写。銃に手を添えているだけではなく、きちんと「握り込んだ」リアルな銃撃戦は見応えあり。

 

 

 

・楽曲

 

シリーズお馴染みのOP: 凛として時雨ED: EGOISTの黄金コンビが久しぶりに復活。

また、ドラマ・アニメの楽曲を数多く手がける菅野祐悟氏による劇伴は今回も健在。特に終盤で流れる「あの楽曲」は鳥肌モノ。

 

 

 

……以上が評価点である。

 

 

え? 「内容に一切触れていないじゃないか」?

 

 

それもその筈。何しろ本作は、アニメーションとして非常に高水準の品質ながら、ただひとえに「シナリオ」によって作品の出来に疑問符が付いている好例なのである。

 

 

 

 

ツッコミを交えつつストーリー解説

 

 

本作のテーマは、どうやら「完全な統治機構の前に法律は必要か」、ということらしい。

 

 

……が、そこから導き出される結論、登場人物の言動、行動動機全てがイマイチ希薄なために、この問いかけが成功しているとは言い難い。

 

 

ここでは物語全体を通して見ていくことにする。

(展開の順番が多少前後してるかもしれないけど悪しからず)  

 

 

 

 

本作の物語は、各省庁の代表が円卓を囲んでの会議から始まる。

 

 

議題はどうやら「シビュラシステムがあらゆる行政機構を管理している今、人が人を統制するための法律は不要なのではないか」という観点から「法律撤廃」の是非について問うものであるらしい。

 

 

ここで言う法律とは、〇〇法××条みたいな、何かの「法の一部」を指すものではない。

 

 

どうやらお偉方は法務省を解体し、この国から「法律」という概念そのものを消し去ろうとしているようだった。

 

 

現代の法治国家に生きる我々からすれば馬鹿げた物言いに思えるが、実際、「完璧な統治機構=シビュラシステム」のもとで生きる人々にとっては権力それすなわちシステムである訳だし、法律の存在なんて日頃意識しないのかもしれない。彼らにすれば、法律などあってもなくても同じようなものなのだろう。

 

 

 

さてここで、PSYCHO-PASS世界の年表を見てみよう。

 

 

 

2113: 槙島聖護一派の手引きによるヘルメット事件。シビュラシステム、都心部で凶行に及ぶ暴徒たちに対処できず

(シーズン1)

 

2114: 鹿矛囲桐斗主導による一連のテロ事件。シビュラシステム、集団的サイコパスに対応できず。後にアップデート

(シーズン2)

 

2116: SEAUn・シャンバラフロートでのサイバネティックスキャン集団偽装事件。常守朱ら一係の介入により解決

(劇場版1)

 

 

 

ちょっと待てや!!!!!!

 

 

 

アレ??? こう見るとシビュラシステムってかなりポンコツじゃないか???

 

 

シビュラの監視網をすり抜け、国家基盤を根底から揺るがすレベルの大大大事件がこんだけコンスタントに起きた直後に「法律の廃止」とか何寝ぼけたこと言ってるんですか? 3歩歩いたら3歩前のことはもうすっかり忘れてしまうのかこの人達?

 

 

これに対し、監視官代表として会議に出席していた常守朱は当然反論。

 

 

(意訳)法律を廃止するということは、つまり国際法から逸脱するということになる。これでは海外との協調が……

 

 

いやもっと主張すべきことがあるだろ!!!

 

 

あんた今までシビュラシステムの不完全性をいやと言うほどに見せつけられてきた筈じゃないのか、ふんわりしたこと言ってないでそこを突っ込むべきでは?(だいたい世紀末状態になってる海外との「協調」って何だ?)

 

 

……などと、筆者がひとりで悶々としているうちに常守が会議を中座。神奈川沖で海外船舶が襲撃を受けたらしい。現場へと向かう常守に、どうやら裏で糸を引いているらしい慎導パパも素知らぬ顔で同行する(今後も慎導パパは飛蚊症の症状みたく視界の隅っこに常に存在し続けることとなる。正直鬱陶しくて仕方がなかった)

 

 

調査の結果、船には行動統計学の第一人者・ストロンスカヤ博士が外務省の護衛を伴って乗っていたものの、テロリストにより殺害されてしまったようだと判明する。

 

 

このストロンスカヤ博士の研究成果である「ストロンスカヤ文書」の争奪戦が、本作の肝となる。基本的に外務省と、そこから離反したテロ組織=「ピースブレイカー」(もうちょいマシなネーミングはなかったのか?)が対立陣営となり、常守ら公安はその間に巻き込まれていくこととなる。

 

 

この後、決別した筈の常守と狡噛が割と軽いノリで再会したり、外務省とピースブレイカーとの銃撃戦に巻き込まれたり(案の定ドミネーターは使えない)、その過程で謎兵士に我らが雑賀先生が雑に殺されたり……まあ色々展開はあるのだが網羅してるとやってられないので割愛。

 

 

色々ある間にわかったのは、ピースブレイカーは元々外務省所属の極秘部隊で、紛争地域で何やら裏工作をしていたのだけど、しばらく前から消息不明となりテロ組織へと変貌したらしいこと。

 

 

そのトップはトナミという男。彼が何やら「ジェネラル」と呼ばれる人格を自らに憑依させ、兵士たちに演説する場面が挿入される。

 

 

一方の狡噛は、テロ組織の一員である金髪のあんちゃんが去り際に残した意味深な台詞を調査(ググった)結果、それが三好達治の詩「大阿蘇」からの引用だと突き止める。そのまま安直に敵の本拠地が阿蘇にあるらしいと決めつけた一行は現地を強襲(やはりドミネーターは(ry)、拉致されていた外務省のお偉いさんと金髪を連れ帰るのだった。

 

 

実のところ金髪は、外務省の指示でテロ組織に潜入していた捜査官だった。あと3期ダブル主人公のロシア人の方の兄貴らしい。

 

 

で、彼からの情報提供でいろんなことが明らかになる。

 

 

・ピースブレイカーの隊員には「ディバイダー」と呼ばれるチップが埋め込まれており、これによって殺人の罪悪感を外部に委託しているため色相がクリアなまま。また、トナミはディバイダーを通じてあらゆる隊員に「憑依」することができる

 

 

・ストロンスカヤ文書は、民族対立や民衆感情等あらゆる紛争要因をシミュレーションできる行動モデルで、これによって「紛争係数」を定義できる。この紛争係数を人為的に操作すれば、紛争を抑制することも、逆に引き起こすこともできる

 

 

……と、どこかで見たような要素がいろいろ出てきたところで、

 

 

 

 

 

そこに突如現れた外務省のお偉いさん。脳内の翻訳チップを介してトナミに憑依されたらしく、尋問担当の狡噛を銃撃して金髪を連れ去ろうとする。

憑依先のお偉いさんが射殺されると、今度は金髪へと乗り移るトナミ。ヘリを奪って立ち去ろうとするものの、微かに残っていた金髪の自我が抵抗。自害(& 慎導パパの介錯)によって文書の強奪を阻止するのだった。

 

 

さて、この自害シーンもツッコミどころが多い。手にした拳銃で必死に自害を試みる金髪を前に、常守と慎導パパは棒立ちで見守るばかりである。

 

 

……普通取り押さえて拘束するとかしない? 組織の内情を知る数少ない生き証人だろ??? いくらパラライザーが効かなかったからって、諦めて棒立ちはいかがなものか。相手は一人、他にもやりようはいくらでもあるでしょうよ。大体、自我の不安定な奴が実銃握ってたらあんたらの命だって危ないだろうに。

 

 

ここまでの一連の悶着は、どうやらビブロス()のインスペクター()であった慎導パパの奸計が引き起こしたものらしい。そして役割を終えた慎導パパは、シビュラシステムによって「用済み」であると告げられる。本人も納得ずくの様子である。

 

 

この後、ロシア人弟の結婚式が割と長めの尺でしっとり描写されるのだが正直どうでもいい。で、もはや用済みの慎導パパは結婚式会場の駐車場にてノリで自決。生前は常守に「弟が可哀想だから金髪の死は伏せておいてくれ」とか言ってた癖に、最悪の形でおめでたムードを汚す免罪体質ムーブをかますのだった。

 

 

一方、トナミは北方列島に独立国家の樹立を宣言(極北が舞台となるのは某スパイ映画最新作を思わせる)。どういうわけかシビュラはこれを認め、彼らとの取引材料として、常守にストロンスカヤ文書の直接引き渡しを言い渡す。これを不服とした外務省&公安一行は命令に応じるふりをして、トナミを裁くための作戦を案じる。

 

 

トナミはどうやら、成層圏を飛び回ってる通信用飛行船を介して「憑依」を実現しているようで、これを封じることができればディバイダーによる色相浄化も機能しなくなり、勝機が生み出すことができるらしい。

作戦決行当日、北方列島に乗り込む一行。そこには花弁を思わせる巨大建造物が鎮座していた。世界混乱以前、AIによって制御・構築された無人工業地帯とのこと。それ何て決戦機動増殖都市?

 

 

施設の最奥にて明かされる真実。ピースブレイカーの首領「ジェネラル」の正体はシビュラの補助装置として開発されたAIであり(知ってた)、その「プロビデンス」こそが兵士たちの罪悪感を肩代わりしているのであった。トナミはどうやらプロビデンスに支配されたもうひとつの管理社会を作り、紛争被害者たちの受け皿とするつもりらしく、そのためにストロンスカヤ文書が必要だと語る。

(正直トナミの目的まわりの解釈は自信がない。何しろ言ってることが全部ふわっとしているので)

 

 

で、何やらゴタゴタしているうちに公安が通信用飛行船の掌握に成功。ディバイダーを停止され、流れ込む罪悪感によって発狂する兵士たち。(やっぱりどこかで見たぞこの流れ)

ここぞとばかりに流れるメインテーマ"PSYCHO-PASS" ! ようやくドミネーターの出番だ! 

 

 

……と、筆者がひとりで勝手に盛り上がった矢先、フレデリカの強襲型ドミネーターはオーバーヒートで停止、狡噛のものも銃撃を受けてあっさり破損。その「盛り上がりそうで盛り上がらない」焦らしプレイみたいなの、いい加減やめてくれませんかね?

 

 

けっきょく狡噛は宜野座パパのリボルバーで常守を殺害しようとしたトナミを射殺。プロビデンスはシビュラの一部として取り込まれ、事態は一応の解決を見る。最後までこれと言った活躍もなく(せいぜいストロンスカヤ文書のデータの隠し場所になったくらい?)、ドミネーターはその役目を終えたのだった……

 

 

後日談。シビュラにより、慎導パパのポストを継ぎ公安を辞職するよう促される常守。本部長就任式当日、常守は公衆の面前で禾生公安局長を射殺(厳密には破壊)、部下の霜月によって逮捕される。

これは常守なりのシビュラへの反抗なのであった。殺人を犯しながらも常守の色相はクリアなまま、ドミネーターの執行対象ともならなかったことがニュースによって大々的に報じられ、既定路線だった「法律廃止」は世論により撤回される……というところで幕切れ。

 

 

 

 

感想

 

これPSYCHO-PASSでやる意味あります?

 

シリーズ当初は権力の象徴として、単なるガジェットである以上の意味合いを持っていたドミネーター。しかし今回は脇役に追いやられ、スクリーン上に繰り広げられるのは血と硝煙香る銃撃戦……

 

 

本作は全体を通じて、「やりたい場面が先行し、そのためにこれまで積み上げてきた世界観を捻じ曲げる」といったような軽薄さを感じる。まあそれでも歌って踊ってしないだけ3期よりマシだけど。

例えば阿蘇の拠点で狡噛&宜野座がドローンの攻撃を受ける場面。いやデコンポーザー使えよ。いくら生身の兵士にドミネーターが通用しないとはいえ、無人の、しかも明らかに攻撃の意思があるドローン相手にならば問題なく作動する筈では? 

 

 

おそらくこの場面では劇場版"GHOST IN THE SHELL" の多脚戦車戦パロディがやりたかっただけなんだろうけど、そうした画作りのために世界観や合理性をおざなりにする姿勢は、ディストピアSFというある種「設定の作り込みが肝」となるジャンルにまったく相容れない。今作でのドミネーターの出番が極端に少なかったのは、元も子もない言い方をすれば「絵面が単調になるから」なのだろうけど、別に我々は(少なくとも筆者は)PSYCHO-PASSに壮大な戦闘描写を望んでいるわけではないのだ。

 

 

ジェネリック虐殺器官がやりたいなら別でやってほしい。そのくせ物語を通しての結論は「やっぱり法律は必要だよね!」という、冒頭からさんざん常守が主張しているせいで意外性のかけらもないものだったし。伊藤計劃以降のミリタリSFの流れを表層だけなぞった感じで、見てくれはたしかに迫力があるんだけど、どこかで見たシーンのつなぎ合わせばかりで退屈な出来栄えだった。

 

 

「そもそもシーズン1の時点で『ハーモニー』の影響をモロに受けてただろ!」

 

槙島聖護なんてTS御冷ミァハじゃねえか!」

 

……というツッコミが飛んできそうで怖いが、当初はドミネーターの象徴性と刑事ドラマ要素の有無で差別化ができていたように思う。初代シリーズの総監督を務めた本広克行氏の過去作である「踊る大捜査線」とも共通する、「既定のシステムの矛盾の狭間でもがく現場の刑事たちの哀愁」という筋書きが、本作の独自要素として多くのファンの心を掴んだのだろう。

 

 

そう。本作の根幹は、ディストピアSFである以前に「刑事ドラマ」だった筈ではないか。槙島聖護という稀代のトリックスターが問いかけるシステムの不完全性を目の当たりにして、刑事達がそれぞれ折り合いをつけながら立ち向かっていく背中こそが、我々の観たかった1係の姿ではないか。PSYCHO-PASSという作品の醍醐味だったのではないか。

 

 

なのに今作はそうした根幹を忘れ、刑事ドラマ成分をオミットしてミリタリ要素を増した結果、凡庸なハードSFもどきに立ち返ってしまった。なんとも皮肉な結末である(よりにもよって作監が同じ「虐殺器官」と元メインライターの作品であるアニゴジに要素が寄っていくのはどうなのさ……)

 

 

あとこれは本筋と全く関係のない指摘なんだが、もはやシリーズ恒例となった本の引用合戦。

 

 

原点である槙島のそれは非常に格好がついていて、彼のカリスマ性を引き立てる一要因となっていた。しかしシリーズを追うにつれ、本の引用をすることがもはやノルマのようになっていき内容も次第に陳腐化、本作ではその傾向がついに臨界点をむかえたように思える。

 

 

中盤、マジでなんの脈絡もなしに「大阿蘇」の暗唱を始めるロシア人兄。筆者はこの詩をよく知らないので、「きっと何か深いメッセージがあって、狡噛にはそれが通じてるんだろうな〜」と思っていると、次の場面でテキストベタ打ちでネット検索を始める始末。

 

 

それで引用元のタイトルが「大阿蘇」だから敵の基地も阿蘇にあるんだ! って、色々と安直すぎません? ロシア人兄にしてみればギリ伝わる暗号のつもりだったんだろうけど、フィクションとして見てる我々からすればあんまりにもカッコ悪い。

 

 

そして最大の問題点。過去作と比べた時の各キャラクター描写の矛盾である。

 

 

まずは霜月。担当脚本家の数だけ別の人格を持っていると言っても過言ではない彼女の変容っぷりだが、今作では3期から引き続き安易なツンデレヒロイン化に拍車がかかっている。ハードな世界観の中で一人だけ明らかに浮いてるし、正直ノイズでしかない。あとラストではしれっと常守の後継者的な立場に収まってるけど、常守のおばあちゃんの件はどうなった???

 

 

まあ、霜月のキャラ崩壊などはいつものことなのでほんの序の口である。次だ次。

 

 

物語冒頭、テロリストの襲撃を受けた船に単独で降り立ち、トムクルーズさながらの活躍を演じる狡噛。この男は別にスーパーエージェントでも何でもなく、単なる元刑事で世捨て人ではなかったのか? しかも常守の前にノコノコと現れ、今さら先輩面して助言などする様は、シーズン1の劇的な決別をまったく軽薄なものに思わせてしまう。

 

 

それに対し、「私たちチームですから」などとデレる常守も常守ではないか。いちおう最初こそ突然の再会に戸惑うそぶりは見せるものの、結局は「次やったら許してませんからねっめっ!(意訳)」ぐらいのノリであっさり許容している。そこにもはや、劇場版1での厳とした女リーダーの姿はなく、シーズン1中期くらいの精神性に退行しているようにすら感じた。

 

 

そして、常守が下した最後の決断。

 

 

「自らが法を犯すことで法の存在意義を証明する」という捨て身の行動だが、これもシーズン1で「あくまで法の番人である」ことを選択した彼女の行動哲学とは、あまりにかけ離れた結論ではないか?

 

 

過去作のパーソナリティを備えた常守朱であれば、槙島聖護に空のリボルバーで挑んだ彼女であれば。安易にそうしたラジカルな行動を取る前に、あくまでシステムの中に留まったまま、解決案を模索していた筈である。たとえそれで通用しなくとも、あれだけ聴衆が集まっている就任式の場であれば、公然とシビュラシステムの犯した不正を告発することだって出来たはずではないか?

 

 

だいたい、常守朱という人物は「模範的市民でありながらシステムの在り方に疑問を持つことができる存在」だからこそ、シビュラシステムの興味の対象となったのではなかったか? 法を犯して色相がクリアなままというのは、単なる免罪体質者と何ら変わりがないではないか。

 

 

それと、「常守を執行官落ちさせたくない(意訳)」と言っていた宜野座の、この結末を受けての反応が描写されなかったのも気になる。

 

 

そして、彼女の行動によって引き起こされた物語の結末にも疑問符が残る。

 

 

「色相がクリアなままの殺人者」という、シビュラシステムの正当性にヒビが入るような存在。それをマスコミ各社が好き勝手に報道している現状を、果たしてシビュラは放任するだろうか?

 

 

1984年」にて民衆を監視するためのカメラがテレビと一体になっていたように、強権支配と報道統制は切っても切れない存在である。民衆の心までもが監視の対象となるシビュラ社会において、民衆感情にダイレクトに作用する報道が好き勝手やっていると言うのは、前提となる世界観を根底から揺るがす大いなる齟齬ではないだろうか。

 

 

 

 

総評

 

3期よりはマシ。それでもPSYCHO-PASSシリーズとしては落第。

 

正直、制作陣はやめ時というものを見失ったんだろうなという感がある。

 

 

もともと、槙島という存在の死を以てPSYCHO-PASSという物語は既に「オチて」しまっていたように思う。そうした「すでに終わった物語」から世界観を引き継ぎ、新たな物語を紡ぐのは、作り手側にとって決して簡単なことではないのだろう。

 

 

それでも劇場版短編作品「SS」や、舞台版「VV」が面白く、ある種マンネリ化しつつあったシリーズの新たな展開を期待させる出来であったからこそ、3期以降の展開に筆者は胸を躍らせていた。

 

 

しかし、蓋を開けてみればどうだろう。場違いな超能力要素に頼って頭脳戦を放棄した3期と、そこからの延長線である本作。世界観を軽視した現在の流れには、どうしても疑問を呈さざるを得ないのである。

 

 

 

もしこの記事を読んでいる人の中でこれから初めてPSYCHO-PASSシリーズに触れようという人がいるのなら(まずいないと思うが)、シーズン1と劇場版1SS2と舞台(VV)までに留めておくことをおすすめします。

 

長々と取り留めない文章になってしまいましたが、お付き合いいただきありがとうございました。